いつも遊んでる大人の記録

日記とかって、自分のテンションも分かりやすいから手書きの方がすきだなあと思うし、毎年日記帳も買ってたりするけど触る習慣がつく前に忘れちゃうから、もう諦めてスマホで日記つけちゃう。

切り札は己

 

あゔちゃんの写真集が届いた。言葉にできないくらいのブツで、こんなふうにかっこよくなりたいなと色んな意味で、写真集のいろんなところに思った。なにより座右の銘がひとつ増えた。とにかく最高だった。死んだら一緒に燃やしてほしい。

毎日がなんとなくすぎてて、ゆる自粛とゆる自己防衛のたまものなのかおかげさまでたいへん健康です。まあでも、体はってかんじがあるな。健康だけど退屈な毎日〜とか思ってしまったりして、それは何も始めない自分のせいだろと思うけど、前よりもパッション!という感じもでてこなくて。歳なのかな。怖いから歳のせいにします。うーんこれは言い訳だけど、何か新しいことしようかなと思っては周りの環境が変わってて、じゃあまあ落ち着いてからでいいか、を繰り返してる気がする。人生の中だるみ期間なんだろうか。駆け抜けて青春な人生送ってきてたんだないままでと改めて思う。いやでも全然あったな、中だるみ。

大事な人たちになかなか会えないのが悲しい。元気なんだろうか。元気ですかって聞いても元気だよって言うやつばっかりなんだもんよ。ほんとに元気ならいいんだけどさ、そばで見てないから嘘つけ!て思っちゃうんだよな。なんとなくだけど。でもさ、根拠もなく「元気ねーだろ?!」て言うのはおかしいじゃん、色々。そもそもぼくの大事な人たちはみんな、毎日がんばって生きててさあ、空元気でも元気出してがんばってる人ばっかなんだよな。あーそうか、元気で生きててえらいって言えばいいのか。いやいやよく言ってるやつやんけ。もういいや。大事な人たちみんなが健やかだといいな、身も心も。元気でいてくれないとわたしが困るんだよ。

話は全然かわるんですが、実は最近、ここ数年でもめちゃ珍しくて希少な体験をした。何かという話の前に、まず、ぼくは自分の人を見る目を信じているんですという話をしておきたい。しいたけ占いよりなにより、自分の直感を一番信じてるんですよね。言葉が悪いかもだけど、付き合う人間も直感で選り好みして生きてる。と思う。この直感がわたしにとってはなかなか大事な野性の本能のようなもので、今の会社でも「このおっさん絶対難癖ありそうだな」と面接時話しをしたわけでもなくただ部屋にいただけだった上司、案の定まじで難癖があった。この子なんか〜やばそうだな〜と思った同期も、案の定本当にやばかった。どちらも悪い人間ではないと思うから、そのへんはラッキーに恵まれてるのかなとおもうけど。そんなわけで自分の直感をめちゃ信じてますねん教の人間なんですはい。んでそれがなんか、2パターンあるんだよ。パターン1は文字みたいなのが頭に浮かぶ。コノオッサンナンクセアリソウみたいな。なんというか、自意識でわかる感じというか、スカウターで見てる感じっていうか。難しいな。これはよくあることで、対人だけじゃなくてなんか物事にもさ、あるやん、予感みたいなやつ。なんかこれフラグになってそ〜〜みたいなやつ。まあそんな感じよ。

んで、もういっこが珍しい。これがまたよくわかんないんだけど、言葉より体の方が早いみたいなやつ。口をついて出る系のやつ。これ、最近なってなかったし、なる時もどっちかというと自己防衛みたいな方が多かったからびっくりした。ただこっちはもうなんか、言語化されてないというか、よくわかんないけどって部分が100%だから信じきれない気持ちになるんだよな。パターン1は少なくとも直感を自覚できてるから、俺が信じる俺を信じろ!みたいなかんじで信じられるんだけどさ…。要するに何が言いたいかというと、パターン2のときは自分でも全然わかんないから怖いっていう、そういうこと。なんか怖いよおママ〜〜。でもなかなかこういう感覚なくて、知らないゲームをルールよくわかんないままやってるみたいなかんじで愉快で、でも怖くてな。なんだかな。いやもうふわ〜〜っとした話だな!!!!なんとなく書いておきたかったってだけでした。

鳥貴族いきたいなあ。